演劇の世界はいくつかのジャンルにわかれています。無理やり二つに分けるとすると、インディーズである小劇場、または制作会社の出資で行われる商業演劇。
そして、小劇場の中でもいくつかのジャンルにわかれています。代表的なところだとアングラ・新劇・現代口語演劇などなど。
そこらへんのこともいずれ詳しく解説したいと思うのですが、今回紹介する小説「わがままな選択」はそんな小劇場の世界で現代口語演劇の新星として注目される横山拓也さんのデビュー作となる小説です。
わがままな選択(粛々と運針)と横山拓也についての解説
わがままな選択は、2017年にiakuが東京で演劇を作るにあたって初めて書いた「粛々と運針」という舞台の脚本を小説化したものです。
当時の舞台も拝見しましたが、衝撃的な作品でした。
粛々と運針のあらすじ
築野家。弟と二人で母を見舞う。病室で母から紹介されたのは、「金沢さん」という俺たちの知らない初老の紳士。親父が死んだあと、親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、穏やかに最期を迎えることを選んだという。まだ治療の可能性はあるのに。なんだよ尊厳死って。誰だよ金沢さんて。 田熊家。平均寿命くらいまで支払いを続けたら自分のものになる小さな一軒家を去年購入。その家のどこかで子猫の鳴き声がする。早く助けてあげたいけど、交通事故で頸椎を痛めた夫はケガを理由に探してくれない。私は、お腹に新しい命を宿しているかもしれないのに。不思議。この話の切り出し方が分からない。 平凡な生活の内に潜む葛藤を、周到な会話で描き出すiakuの新たな試み。
iakuホームページより引用
2017年に初演されて以来「粛々と運針」はさまざまな劇団で再演されています。2022年にはジャニーズ事務所の加藤シゲアキさんの主演でPARCO劇場でも上演されました。
2017年時点では、新宿眼科画廊(客席数50席程度のスペース)で上演されていた脚本です。
初演時は世田谷区の公民館を小道具を持って移動しながら稽古をしたそうです。つまり、稽古場を借りるお金も無かったということです。
たった5年で、出演者が変わったとはいえ客席数450席以上の劇場で上演されたのです!
実際拝見してもとても面白かったし、考えさせられる舞台でした。
演劇には観る人の価値観に問いかける(議論のテーマを提示する)役割があると思いますが、この粛々と運針という作品はそういった演劇の醍醐味が詰まった作品となります。
横山拓也さんの作品は劇作家協会が無料で掲載しているので、興味のある方はそちらも読んでみてください。
意識して選んでいるのでしょうが、登場人物も舞台設定も少ないシンプルな脚本です。
「わがままな選択」のあらすじ
「粛々と運針」からどのように書き換えられているのでしょうか?戯曲としての完成度が高かった分、とてもワクワクしながら読みました。
実際読んでみると、登場するキャラクターも変更になっており、かなり大きく書き換えられています。元々は兄弟と夫婦と謎の存在2人で進められる脚本でしたが、小説版では主に夫婦二組の物語になっていました。
わがままな選択のあらすじ
しかし結婚して9年、夫婦のあいだに妊娠疑惑が持ち上がる。
妻である沙都子はバリバリ働くキャリアウーマン。夫婦二人で生計を立てているが、大手の不動産会社で働く沙都子の収入は静生の2倍近い。子供を産むということになったら、家のローンはどうなってしまうのか。
静生の母親である田川真寿美は、二ヶ月前に腎臓の手術をした。無事退院したのだが、3日前から腹痛を訴えて再入院している。70を迎える母親と恋仲であるらしい「金沢さん」によれば、尊厳死を望んでいるとのこと。人工透析の治療をしなければ助からないのに、どうやら治療を拒んでいるらしい。
生まれてくる命と消えようとしている命。2つの命をめぐる葛藤を軽やかに綴った家族の物語。
原作である「粛々と運針」では、別々の問題に直面している2つの家族がいつの間にか混ざり合って議論するという、とても演劇的な構造になっていました。
しかし小説版では別々の問題が一つの家庭の問題として集約されていました。
主役である田川静生が問題に直面し、これまで向き合ってこなかった事について深く考えて自分なりの答えを出そうとする姿が「粛々と運針」よりもむしろ受け入れやすかった気がします。
「わがままな選択」のあらすじ(ネタバレ)
- わがままな選択のネタバレ
- 静生の妻である沙都子は「子供を産みたくない」と言います。結婚した当初と考えは変わっておらず、むしろ仕事が楽しくなってきたことで「子供を産みたくない」という考えは強くなっています。結婚当初は静生も子供をもつつもりはありませんでした。しかし「妻が妊娠したかもしれない」という状況に置かれて、今の自分の考えを見つけようとします。普段は沙都子を立てて、意見がぶつからないように穏やかな生活を送っている静生ですが、妊娠の問題については何度も「もっと話し合いたい」と沙都子に食ってかかるのでした。
弟である綾人はファッション誌のメイクの仕事をしていて、都内のマンションに暮らしています。
奥さんの沙都子は大手不動産会社で、女性で初めての課長代理というポジションにいます。自分だけが何者でもない、ということにコンプレックスを感じている静雄は「子供が産まれれば、自分にも「役割」ができる。父親という役割が欲しい」と沙都子に訴えます。
「わがままな選択」は生と死がテーマの一つになってるけど、「役割」ということも大きなテーマになっているよ!真寿美の尊厳死について話し合います。静生は弟の綾人と妻の沙都子を連れて真寿美の病室を訪れますが、真寿美の態度は頑なでした。
3人はなぜ真寿美が尊厳死を選ぶに至ったのかについて相談します。真寿美は「妻」という役割を卒業し、「母親」という役割も卒業した。役割から解放されて自由に生きる幸せを、「患者」という役割になることで手放してしまうくらいならこのまま死にたいということなのではないか?という考えに行き着きました。
「粛々と運針」の時には感じなかったけど、小説版では「自由」ということも一つのテーマになってるのかな?と思ったよ。母親の考えを頭で理解できても、子供として尊厳死をすんなり受け入れられるものではありません。
家族はどういう結論を下すのか?
結末は是非、小説で楽しんでください。全世代が共感できる傑作だと思います。
「わがままな選択」の感想
横山拓也さんはもしかしたら不本意かもしれませんが
正直、戯曲よりも小説の方が合ってるんじゃないか?
とさえ思いました。
横山拓也さんの脚本が好きなので、「粛々と運針」以外の舞台公演にも何度も足を運んでいますが、小説で描かれていた程の深いバックグラウンドを俳優が持てていないと今回の小説を読んで感じたのです。
一概に俳優だけのせいということでもなく、横山拓也さんの演出力も関係しているのではないかと思います。横山さんが書いた作品を他の方が演出する場合も同様なので、横山さんが描く世界まで辿り着ける人があまりいないのかもしれません。
iakuといえば重いテーマを扱いながらもコメディタッチな笑いを忘れない劇団ですが、その特性は小説になっても活かされていました。
ちょっとしたエピソードがいちいち面白いので、中弛みせずに最後まで読み切ることができます。
「粛々と運針」「わがままな選択」の両方に登場する猫の存在ってなに?
- 登場する猫についての考察
- 妻である沙都子は「猫の声が聞こえる」と主張します。しかし静生には猫の声は聞こえません。沙都子は「猫を探してほしい」と頼みますが、動物が苦手でそもそも声が聞こえない静生は乗り気ではありません。
「粛々と運針」では
最終的に静生(上演時の役名は違いますが)にも猫の声が聞こえます。
舞台を見た時は、シンプルに沙都子と静生の心が繋がったという事の表現なのだと思いました。
「わがままな選択」では
最終的に沙都子は「猫の声が聞こえる」ということを話題にあげなくなります。静生もわざわざ自分からその話題を振ることはなく、二人の間から「猫」の存在は消えていきます。
上記のエピソード以外にも、様々なシーンで「猫」の存在がチラつきます。沙都子と静生の心が繋がったという意味合いもあるのかもしれませんが、小説版では「猫」というのが自由の象徴として描かれているのかと感じました。
脇役が魅力的!
「わがままな選択」では主要人物以外にも何人か登場します。
- 930円師匠
- 実家の近所に住む椿本さん
- 金沢さん
- 病院の先生
- 咲良ちゃん
- 結花
- 院長先生
脇役ではあるのですが、それぞれのキャラクターが良いんです。
特に私の好きなのは「椿本さん」なんですが、物語のはじめと終わりで印象が全然違いました。
それ以外の人物も、抱えているものを想像させてくれる描き方で、物語に厚みを持たせてくれます。
最後に
とにかく面白い小説です。
小説を本業としている方の作品と比較しても、全く遜色がない作品でした。
心理描写が面白いので、是非実際に読んでみて下さい。