好きな戯曲はいくつかあります。
井上ひさし先生の「父と暮せば」もその一つです。
終戦記念日が近い事もあって、久しぶりに読みたくなりました。
久しぶりに読んでみて改めて思いましたが
ものすごく面白いです
自分に娘がいる身で読むと、昔読んだ時よりもさらにグッとくるものがあります。
「父と暮せば」は映画化もされています。
「父と暮せば」の意思を引き継いだ形で、山田洋次監督の「母と暮せば」と言う映画作品もありますね。
まだ読んでいない方には是非読んで頂きたく、今回は「父と暮せば」の紹介をしたいと思います。
父と暮せばのあらすじ
物語は1948年の7月下旬の4日間です。
1幕〜4幕の構成になっていて、場所は全て広島市、比治山の東側にある美津江の家
何か新しい事が起こると言うよりは、過去に何があったのかが徐々に明かされていく物語です。
幕が開くと雷が鳴っていて、家の中に主人公である美津江が走り込んできます。
美津江 おとったん、こわーい!
押入れの襖がからりと開いて上の段から竹造
竹造 こっちじゃ、こっち。美津江、はよう押入れへきんちゃい。
ちょっともうここだけでも泣きそうになっちゃいます。
なぜかと言うと
美津江は赤ちゃんの時に母親を亡くし、20歳まで父親である竹造に男手一つで育てられました。
しかし3年前に原爆の被害に遭い、父親をも失っています。
その父親が、なぜか4日前から美津江の前に現れるようになったんですね。
美津江は図書館で働いているのですが、図書館の利用者の1人「木下さん」が自分の事を好いてくれている事に気がつきます。
美津江も木下さんの事を悪くは思っていないのですが、素直に好意を受け入れることが出来ません。
既に死んでしまったはずの父親との4日間の中で、美津江は徐々に自分が蓋をしてきた思いに向き合うことになります。
父と暮せばの登場人物
でも安心して下さい。
戯曲中に「木下さん」「昭子さん」といった名前は出てきますが
登場人物としては美津江と竹蔵の2人だけなのです。
いや、むしろ美津江1人の物語と言えるかもしれませんね。
以前こちらで
人間の欲求は潜在意識と顕在意識では必ずしも一致しない
と言うことについて説明しました。
それを理解するにあたって、これほどピッタリな戯曲も無いかもしれません。
美津江は劇中で
うちはしあわせになってはいけんのんじゃ
だったり
うちゃあ生きとんのが申し訳のうてならん。じゃけんど死ぬ勇気も無ぁです
と、度々自分の命を否定するような言葉を口にします。
原爆で亡くなった人たちが苦しむのを間近で見てきて、自分だけ幸せになることに罪悪感を感じているんですね。
顕在意識では「自分は幸せになってはいけない」
と考えているのですが、潜在意識としては
「木下さんからの好意を受け入れて、幸せに生きていきたい」
と言う欲求があります。
父親である竹蔵は
これでもおまいの恋の応援団長として出てきとるんじゃけえのう
と言っています。
つまり顕在意識は美津江、美津江の潜在意識の代弁者が竹蔵と言うわけです。
父と暮せばのテーマ
「父と暮せば」では、原子爆弾の怖さが一つのテーマになっています。
作中でもいくつか被害の怖さが語られます。
俳優として「父と暮せば」を演じるのなら、全ての被爆者の代表である必要があります。
非常に大きな責任を伴う作品ですね。
美津江を演じるのであれば、三年前からどう生きてきたのかが具体的になっている必要があります。
どういう体験があると、自分が生きているのが申し訳ないと言う心境になるのでしょう。
是非実際に読んで考えてみて下さい。
台本上でも語られてはいますが、俳優が自分の人生として役を理解するには
台本の情報だけでは不十分です
- 美津江が原子爆弾投下の直後に見た地獄絵図
- 最後に聞いたおとったんの声
- 明子さんのお母さんが自分を責める声
- 肌に感じる熱
- 人間が焼ける匂い
これらを五感を使って、自分が体験したものとして経験する必要があります。
経験しながらその時に何を感じたか、何を思ったか。
感情を動かしながら経験してください。
感情を伴う経験だけが、体験としてあなたの中に残ります。
前口上の一節を紹介します。
ヒロシマ、ナガサキの話をすると「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。
あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。
これを読んで、改めてその通りだと思いました。
日本人がどうこうと言うよりは、人権を踏み躙る非人道的な兵器です。
ミームという言葉を聞いた事があるでしょうか?
文化を形成する情報の事。
遺伝子が生物を形作る情報であり、世代を跨いで伝達されて進化するのと同じように、ミームも脳から脳へと伝達し進化する。
遺伝情報を伝えていくだけではなく、ミームを次世代に伝えていくことが、人間が他の動物とは違う部分です。
そして人間を人間たらしめているこのミームを伝えていくことが、俳優の使命の一つだと私は考えています。
「父と暮せば」で
竹造 人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。そいがおまいに分からんようなら、もうおまいのようなあほたれののばかたれにはたよらん。ほかのだれかを代わりに出してくれいや。
美津江 ほかのだれかを?
竹造 わしの孫じゃが、ひ孫じゃが
というシーンがあります。
図書館で勤めている美津江に竹造が語っているシーンですね。
俳優もたのしいことだけでなく、かなしいことからも逃げずに向き合っていかないといけません。
最後に
父と暮せばは戯曲としてはかなり読みやすい物語です。
約100ページなので、1時間半くらいで読み切れるんじゃないでしょうか?
広島弁というところも素敵ですね。
方言のお芝居は、それだけで何故か距離が近いものに感じられます。
もう少し中身に踏み込んでお伝えしたかったのですが、やはりそれぞれに読んで頂きたいという思いが勝ってあっさりとした紹介になりました。
是非ご一読ください。
本日もありがとうございました。